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三国志には、実に多くの人物が登場する。
しかし、そのすべてが英雄に
相応しい人物というわけではない。
中には「こいつが群雄になって
果たしてよかったのか??」と、
眉をひそめたくなるような人物も少なくないのだ。

その代表格は、やはり袁紹であろう。
曹操が徐州に攻め込んでいる隙をみて
都を攻め落とし、天下を握ろうと
腹心から進言を受けるのだが、受け入れない。
というのも、
袁紹の息子が病気にかかっていて、
心配でたまらなくて
とても出陣する気になれないからだ。
案をはねのけられた腹心は、
「子供が病気くらいでチャンスを逃がすとは」
と嘆く。
これは、彼だけでなく
当時の世間一般に通じる考え方であったろう。

しかし、いま日本で
子供が病気という理由で父親が仕事を休んだら、
同じようにそしられるだろうか。
「子育てをしない男を父とは呼ばない」
とまで言われるご時世、
仕事を休んで子供を見舞うは
賞賛されてしかるべきものであろう。
いや、べつに今の日本に限らなくとも、
袁紹が平和な世に生きていたら、
やさしいおとうさんになれたかもしれないのだ。

劉璋にしてもそうだ。
彼は野心ひとつ持たず、
ただ自らが治める蜀41州の平和を考えて
政を行っていたのである。
「王たるもの、敵を防いで民を安んずるもの。
民を動かして敵を遠ざけるなど、断じてならぬ」
のセリフにそれがあらわれている。
これが暗愚と呼ばれるに至ったのは、
当時が乱世であり、
現在の立場に満足することなく
自分の勢力の拡大につとめることに
価値が見いだされていたからであろう。
彼もまた、平和な世に生まれたほうがよかったといえる。

劉禅についても、似たようなことがいえる。
ケ艾率いる魏軍が成都に攻めてきた時、
彼は無条件降伏した。
たとえ勝てるはずのない戦いでも、
最後の最後まで戦って死ぬのが美徳とされていた
当時であるから、この行動は疎まれうるし、
実際五男に説教をうけた。
だが、最後まで戦っていようものなら、
どれだけの数の兵士が亡くなるかわからないし、
数え切れないほどの未亡人と孤児が出来上がるであろう。
そういうことを考えると、とても抗戦なんて考えるわけにいかない。
劉禅はあくまで平和思考であった。
当時の道徳に背くと言われようとも、
死ぬ必要のない命を救うだけ救ったこの英断を、
どうしてバカ殿と呼べるだろう。

どんな人物も、どんな時代にも
生まれてくる可能性はある。
そして、人物と時代が一致するとは限らない。
戦争の世に平和向きの者が生まれれば暗君と呼ばれるように、
平和な世に戦争向きの者が生まれれば殺人鬼と呼ばれる。
そう考えると、上記の彼等に限らず
合わない時代に生まれてしまった
数多くの者たちの運命を
嘆かずにはいられない。
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建設的な議論を期待します。
くれぐれも、感傷で糾弾なさいませんよう・・・

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