2008/10/10  ポリティカルコンパス


というのをやってみた。
日本版と原版両方。
結果はどちらも、リベラル左派だった。
政治的には個人の権利を重視し、
経済的には市場に任せない計画的介入志向。
それが僕みたいだ。

何方にも傾いてないつもりだったが
どうやら僕は自分で思っていたより左寄りのようだ。

振り返ると、僕の作ったゲームのシナリオには
そんな思考が強く出ている。
プレイして下さったみなさんの
反感も共感も、それゆえなのだろう。

日本版の解説には、これを機に
自分を見直してみようと書かれていた。
それで思ったこと。
今までは、僕の思想で万事うまくいった世界ばかり描いてきたが、
果たして現実にそうなる見込みはあるのだろうか。

そこを頭の隅に置きつつ、
僕は新作のシナリオをまた考えてみる。
2008/3/12  会社を辞めてから


2月に、仕事上のストレスに耐えかね会社を辞めたが、
どうも最近元気が出ない。
身体は重いし、何をするにもやる気が出ない。
かといって何もしないと退屈でしょうがない。

母が言うには、意識せずため込んでいた疲れが
緊張の抜けた今になって噴き出してきたという。

困ったものだ。
まあ、当分はぐうたらして、静養に努めるしかない。

そんなわけで、ツクールとかも大幅に遅くなりそうです。
ごめんなさい。
2007/8/16  ファミコンウォーズ


お盆休みの昨日は、ファミコンを引きずり出し
『ファミコンウォーズ』をやっていた(終戦記念日だというのに・・・)。

SLGはろくにやらない僕だが、
ファミコンウォーズの第1面だけは勝てるようになった。
まずは歩兵で一歩先の都市を占領。
その後その歩兵を捨て駒に、
自走砲と戦車で切り崩していく。
これで結構簡単に勝てるものだ(ま、1面だし)。

・・・しかし、こういう計算ずくで犠牲もいとわない戦法、
各部隊をただの駒、ただのデータとして扱わなければ
できたものではない。
ゲームではそれで通るとしても、
現実の戦場に立つのは血の通った人間なのだ。

・・・そう思うと、戦争はやっぱり非人道的と思わざるをえない。

何より・・・

自軍の勝利が目前になると、
「ウーン」と考え中のコンピューターに
「ククク、精々呻っていろ」とほくそ笑む
邪悪な僕がいた。
2007/2/21  歯を治していたら


昨日は会社帰りに歯医者へ行った。
前々から痛んでいた歯をどうにかしてもらうためだ。

で、治療中、機材についていたロゴを見て、

(? なんだか見たことあるぞ...)

(あっ!!)

そうだ、あれは今僕が会社で封入している
歯科医用ソフトウェア更新プログラムのCD−ROMと同じロゴだ。
僕達が封入したものが、全国の歯科医に届けられるのだ。
きっとこの歯医者にも来るに違いない。

ならば、僕の歯のためにも、この仕事頑張らなくては。

よし、やるぞ!
2007/1/22  僕も人助けができた


今日、出勤途中に交通事故を見てしまった。
バイクが歩行者にぶつかって横転、ライダーが立てなくなった。
歩行者も立ってはいるものの痛そうだった。
どうやらどちらかが信号を見ていなかったらしい。

近くに住んでいた人が、一生懸命怪我人の世話をするのを見て
僕もいてもたってもいられず、
持っていたケータイで救急車を呼んだ。

僕はこの時ほど、ケータイを持っていたことを
有難く思ったことはなかった。

以前あったCGI日記にも書いた通り僕は
大学時代、駅のホームで突然倒れた人のために
救急車を呼ぼうと思ったが
当時はケータイを持っておらず
周りの人に呼びかけたが応じる者はなく
結局駅員に任せるしかなかった。
自分の無力と周囲の不親切に歯痒くなったものだった。

でも、今回は自分で何とかできたし
力を合わせられる親切な人がいた。

僕も人助けができたんだ、と気持ちよくなれた。
2006/7/9  「DEATH NOTE」を読んで


今日の日記は、漫画「DEATH NOTE」のネタバレだ。
あぶりだしで書いてあるので、読みたい方はドラッグを。


僕が思うに、夜神ライトの最大の誤算は
「”真面目で心優しい”人間以外はすべて殺す」
という当初の決意自体が矛盾含みだったことだろう。

「真面目で心優しい人間」は、
たとえ救い様の無い極悪人でも
人を殺すことをよしとしない者が少なくない。
また、「悪人を消した分だけ世界は善くなる」という
至極単純な発想とも、得てして無縁である。
大体、善人と悪人がくっきり分けられるとも
思っちゃいない。
ましてやそのボーダーラインを人間ごときが
引こうなぞ、傲岸不遜に写ろう。

そういう考えの持ち主は、当然ライトに敵対する。
(考えてみればLも総一郎もそうだった)
従ってライトは残したい者までも消さねばならないという
矛盾を抱えてしまったのだ。
そしてそれが最終的にはライトを死に追いやった。

然しだからといって、現状を手放しで肯定できるわけでもない。
だからこそライトは行動をおこし、賛同者(崇拝者)もいた。

どっちがよかったのか、誰にも答えを出せはしなかった。
結局、元の木阿弥というのが、最も無難な落としどころだったのだろう。


悪がはびこる現状を、そのままにしておくわけにもいかない。
然るに、殺すことで解決できるとも思えない。

ではどうすればいいというのだろうか?

それを考えるという課題が、僕達読者に残された。

2006/4/24  本が無い!


僕はよく図書館に行っているが、
最近になって僕の借りようとしている本が
紛失していたという事態が相次いでいて困っている。

検索機は「ある」と言っているのに棚になかったり、
返却待ちの予約をしたが、ちっとも返ってこなかったり...

こういう時、図書館は
「よその図書館から一時的に貸してもらう」
という方法で対応してくれた(返却も”よその図書館”まで
行く必要は無い)ので僕は本を読めたが、
これだけ多いとただの返し忘れやなくし物とは思えない。
しかも前述の対応のための袋や付箋が常用されているところを
みると、どうやらこれは常態で
僕だけが被害にあっているのではないとみえる。

裏稼業の者が、古本屋とかに売って悪銭を稼いでいるのか?
それとも過激な思想の活動家が、
”正義”に反する内容の本を焼き捨てているのか?

どちらにしても、僕ら健全な読書家にとっては
腹立たしいことこのうえない。
猛省を望みたい。
2006/1/21  焼肉屋はパニック!?


米国産牛肉が、解禁すぐさままた禁止になった。
心配が拭えなかっただけに、
「あ〜、やっぱり」としかいいようがない。

それにしても大変なのは取り扱い店舗だ。
いま僕の手元に「でん」という焼肉屋のチラシがあるのだが
その内容は、解禁された米国産牛肉を
大々的に安売りするというもので
切り取って使える割引券までついていた。
昨日の新聞折り込みである。

その翌日にこれだから、
今頃は支店長も店員も本社社員も幹部も、さぞ
上を下への大騒ぎだろう。
客だってやり場の無い怒りを抱えているに違いない。
...パニックの光景が目に浮かぶようだ。
「でん」は大丈夫だろうか...?。
行きもしない店のことながら気にせずにいられなかった。
2005/12/31  木の生命力


一昨日、昨日と物凄く疲れた。
大掃除である。

この前親父が庭木の枝葉を切り落としていたのだが、
その枝葉をごみ袋に入れられるよう細かく切り刻むというのが
この2日の仕事だった。
疲れた。
はっきり言って、ホントに疲れた。
斬っても斬っても減らない、うずたかい枝葉の山を見て
本当に終わるのかと心配になったこと一再ならず。
終わってよかった。

それにしても、ほんの1,2年ほどの間に
あれほどの山を築けるくらい枝葉を伸ばしていたとは。
まこと、木の生命力に頭が下がる思いだった。
2005/9/12  「めんどくさい、を カンタンに。」


今日、ハローワークの帰りに写真屋の前を通った。
その時、写真屋に貼られていたとある広告が目を引いた。

「めんどくさい、を カンタンに。」

確かこう書かれていたと思う。
内容は、デジカメで撮った写真を
家でプリンタと悪戦苦闘するよりも
写真屋に綺麗に現像してもらおう、というものだった。

はて?
デジカメが出たときは、
「写真屋に行かずとも家で手軽に現像出来る」と
触れ込んでなかったか?
それも「めんどくさい、を カンタンに。」でなかったか?

いやいや、結局どっちも面倒なのだ。
要は自分ならどちらの面倒を引き受けうるか、だ。
努々、広告にはのせられるまい。
2005/3/1  ピザはみんなで


ふ〜。
2/25に卒業研究発表が終わったので、ほっとしている。

その日の夜は、研究室のみんなで打ち上げをした。
食べ物のひとつとして、ドミノピザの出前をとった。
相変わらずのでかさだ。
何度見ても、一人で1枚全部食べられるものじゃない。
実際、家でピザを頼んで食べるときも、
僕はいつも1枚を食べきれなかった。
だから最近は、サイドメニューを食べることにしている。

しかし、この打ち上げでは
1枚のピザを、各人が気が向いたときにひときれずつ取って食べている。
その時僕は気が付いた。
ピザは、こういう食べられ方を望んでいたのだ。
元々一人で食べるものではないのだ。
パーティーとかで、みんなで食べるための料理というのが、
ピザの真の姿なのだ。

過去ログ
2003/10〜2005/1